関数電卓コラム
10/01/11 フェルミ推定問題
昨年,私が上梓した「理系人のための関数電卓パーフェクトガイド」は基本的には電卓の教則本だが,関数電卓を使うシチュエーションを想定したさまざまな問題を取り上げているのが特徴である.
また,所々に「コラム」を挿入して,数と計算に関するおもしろい話題を提供している.今日はその中の,「フェルミ推定」(p118)について語りたい.該当ページのイメージをリンクしておこう.読んで,「おもしろそうだ」と思ったら是非買っていただきたい.
この中にある,「東京タワーから出ている電波は何Wくらいか」というのは,実は私が思いついた問題ではなく,学生からの挑戦だった.なかなかの良問ではないか.フェルミ推定は,解答が無理なく,物理の知識を動員すればだれでもおよその正解にたどり着くような設問を思いつくのもまたセンスなのだ.
私は関数電卓と自分の知識を使い,「約40kW」という答えを2分ほどで出した.正解は,Wikipediaの「東京タワー」の項をみると全部で500kWくらいらしい.一桁小さくなってしまったが,フェルミ推定としては悪くない.以下,私がどのようにしてこの答えを導き出したかを説明しよう.「フェルミ推定」とはどういうものか,参考になればと思う.
まず,東京タワーから出ている電波がどこまで届くかを考える.私の住む伊勢原市がどうやら限界に近いらしい(けっこうノイズが多い).距離は,車で東京に出かけた経験から概算,50kmとしよう(あとで正確に計算したところ,48.9kmだった).
次に,伊勢原における電波の強度を見積もる必要があるが,計算の前提として電波の波長が必要になる.代表として,アナログのNHK総合テレビを使おう.たしか,周波数は,FMラジオのすぐ上※だったから,100MHzくらいだろう(正確には91.25MHz).波長は[m]だ.
※たいてい,FMラジオはTVの1~3チャンネルの音声が聞けるようになっている.
続いて,TVのアンテナが電波をとらえる仕組みについて考える.アンテナには実に千差万別な方式があるが,TVのアンテナは「八木・宇多アンテナ」.電磁波の偏波と同じ方向に長さλ/2ののロッドを置き,両端の電位差を拾う方式だ(実際には長さλ/4のループになっている).この場合,ロッド両端の電位差はで,アンテナの長さ(1.5m)と電場の最大値の積で表される.実際には,八木・宇多アンテナは多数の波長に対して一つのアンテナを用いて受信するので,アンテナの長さはNHK総合のλ/2,1.5mよりは短くなるだろう.ここは,オーダーの計算ということ1mとしておこう.したがって,アンテナ両端の電位差はに一致する.
次に,受信器が電波信号を復号できる最小の電位差を見積もる.これは当てずっぽうだが,10mVくらいではないかと推定する.根拠は,普段電気回路の信号をオシロで見ている経験から,普通の電磁波環境で有意信号がノイズから区別できる電圧は,オシロの最小レンジ(5mV/div)で見える程度と推定されるためだ.アンテナ両端の電位差と受信器の信号電圧はオーダーで一致するので,ここまでの計算で伊勢原市におけるNHK総合テレビのは10mV/mと推定される.
次に,電磁波における電場とパワーの関係,を使い,伊勢原におけるパワー密度をと見積もる.もちろん,この公式とは暗記している.
最後に,放射パワーの計算だ.半径50kmの半球面上のパワーがであるとき,中心における放射パワーはを掛け,2.1kWとなる.あとは,東京タワーから出ている電波が何波くらいあるか,という推定だが,TV,FMあわせても20くらいだろう.したがって合計は42kW.
まあ,学生に対してはいい顔ができたのだが,実は上の解には一箇所,綱渡り的な推定がある.はたして,アンテナがTVの信号を捕らえることのできる閾値は本当に10mV/m位なのだろうか.この推定は±1桁くらい違っていても正直わからないところで,そうなるとパワーの推定値は±2桁変わってしまう.今回は運がよかっただけとも言えよう.
実は種を明かすと,TV局が出している電波のパワーがキロワットの単位,というのは知識として知っていた.朝,TV局が1日の放送を始めるとき,「映像出力XXkW」などと言っているのを見たことがあるからだ.こういう,どうでも良い(と一見思われる)知識も,フェルミ推定を補強するためには大切なものなのだ.エンリコ・フェルミは実に博識な科学者だったと伝えられている.
私は電波技術のプロではないので,以上の推定にもっと説得力のある方法を用いることができなかった.もし,このページを見たプロの電波技術者の方がいたら,ぜひコメントをいただきたい.
最後に,エンリコ・フェルミが原爆の威力を推定したフェルミ推定問題,皆さんも物理学の知識を動員して推定値を出してほしい.ちなみに正解は程度らしい.