関数電卓コラム

13/01/19 CASIOの第3世代自然表示モデルをレビュー

13/01/19 初出
13/02/02 改訂

1. はじめに

2012年12月14日,CASIOから数学自然表示タイプの新モデルが発表された.いちはやく「自然表示」タイプを投入したCASIOは,今回のモデルが第3世代となる.見た目は旧タイプと全く変わっていないが,中身のソフトウェアに多くの改修が加えられた.特に,「自然表示」機ではじめて解の表示に小数が選べるようになった意義は大きい.

発売直後に,ベーシックモデルのfx-375ESと最上位機種のfx-995ESを入手したので,どこが,どのように変わったのかをレポートしたい.


2. 外観

新モデルは以下の3機種.旧機種との対応は以下の通りとなるだろう.

fx-375ES fx-913ESの後継と位置づけられる.旧型はfx-373ESとfx-913ESが(ほぼ)同じ機能を持ち,373ESと913ESの違いは太陽電池の有り/無しだった.今回のモデルチェンジで太陽電池無しのモデルは消滅したので,373ESの直系は途絶えたと考えて良いだろう.
一方,新型は実売価格が2,000円以下と,旧型の太陽電池なしモデルとほぼ同価格で発売された.その意味では,fx-375ESは「fx-373ESに太陽電池を付け,価格を据え置いたモデル」と考えても良い.おまけに科学定数までついてお得感倍増である.
fx-915ES fx-993ESの後継と位置づけられる.旧型はfx-573ESとfx-993ESが(ほぼ)同じ機能を持ち,573ESと993ESの違いは太陽電池の有り/無しだった.今回のモデルチェンジで太陽電池無しのモデルは消滅したので,573ESの直系は途絶えたと考えて良いだろう.
また,915ESには993ESの機能がそのまま受け継がれているので,名前からいえば913の後継と言うべき本機は,実質993の後継と位置づけられるだろう.
最近の流行に倣い,本機はCASIOの関数電卓ではじめて色が2色から選べるようになった.
fx-995ES CASIO第3世代自然表示の「全部入り」モデル.ベクトル,行列はもちろんのこと,不等式の計算,素因数分解などが993ESから新たに加えられた.機能数は991ESの403から572にまで増え,止まるところを知らない.
本機の最大の特徴は,関数電卓に初めて搭載された「周期表機能」だろう.これについては本記事で詳述したい.

fx-913ESとfx-375ESの写真を並べてみた.
   

露光条件などが違うので色合いが違って見えるが,いくつかのボタンの裏関数が異なることを除けば両者は全く同じである.今回のモデルチェンジでは,ハードウェアの改修にはコストを掛けていないことが分かる.端的なのがケース上部の窪み.

これは乾電池駆動モデルに必要なものなのだが,旧型は駆動方式の違いによらず同じケースが使われていた.今回のモデルチェンジで完全に不要となったのだが,あって困るものでも無いので改修は見送られたようだ.


3. キー操作に対するレスポンス

かつて,fx-912ESをレビューしたときに,「『自然表示』モデルはキーの早打ちに対するレスポンスが不十分」と書いたことがある.例として挙げたのは以下の計算.

1022の22をチャッチャと打つと,一つめの2しか認識されない.本機ではどうかと思って試してみたが,やはり同様に一つ目の2しか認識されなかった.フロントエンドの細かい改修はされていないようである.

ちなみにこの問題はCanonの「自然表示」モデルでは発生しないので,キー操作の処理に関してはCanon製に軍配が上がる.Canonの「自然表示」モデルはCASIOから派生したものと思われるが,こういう所が違うのは興味深い.

4. PreAns

第3世代から導入された新しい機能の一つが「PreAns」である.場所は[Ans]キーの裏.ご想像の通り,二つ前の解を蓄えるメモリーである.ラストアンサー機能は,私に言わせれば関数電卓に「無くてはならない」機能である.しかし,PreAnsはどうかというと,今のところ上手い使い方を思いつかない.fx-5ESシリーズのマニュアルには,PreAnsを使ってフィボナッチ数列を計算する方法が書かれている.やはり,用途は漸化式や無限級数の計算だろうか.

もうひとつの用途として,3ステップで行われる計算をメモリなしで行う,というのを考えたのだが,余り良い例が思いつかない.こんな問題はどうだろうか.

問題:直径d=1.00mmの銅線にI=1.00Aの電流が流れているときの電子のドリフト速度vを求めよ.ただし,銅の原子量をu=63.5,密度をρ=8.94×103kg/m3として,銅の原子はそれぞれ1つの自由電子を放出するものとする.

遠藤他,「高校と大学をつなぐ穴埋め式電磁気学」(講談社:2011) p66

解答:
Step 1 銅の原子数密度を計算
6.02E23×8.94E3/63.5E-3=8.475E28

Step 2 銅線の断面積を計算
1E-3^2π/4=7.854E-7

Step 3 電子のドリフト速度を計算
1/(Ans×1.6e-19×PreAns)=9.389E-5

答:v=9.39×10-5 m/s

まあ,これだけの計算を一切メモなしでできる実力があれば,PreAnsにも使い道はあるのだろう.

5. 自然表示モードにおける解表示形式選択

今回のモデルチェンジの最大の目玉がこの機能.私は,fx-912ES発売当時から常に「現状の『自然表示』モデルは未完成」と言い続けてきた.それは,今までの「自然表示」モデルは,不必要なまでに解を分数,根号つきで返すからだ.
例えば,\begin{displaymath}
\lambda = 2\sqrt{\left\{\left(\frac{1}{12}\right)^2+\left(\frac{1}{8}\right)^2\right\}^{-1}}
\end{displaymath}の解をと返すとか.ちなみに,←の答,およそ幾つか分かります? 

しかし,大学の教育・研究活動や実社会において,解が分数で得られた方が便利なケースはまず無いと言って良い.従って,fx-ESシリーズや他社の「自然表示」モデルは,「数式通り」モデルの関数電卓と比べて多くの計算で一つ余計にボタンを押す必要があった.それが,分数/小数変換キー[S<->D]だ.

一方,「自然表示」モデルも,入力を「数式通り」準拠とするLineIOモードとすれば,解は必ず小数で返る.しかし,今度はせっかくの「自然表示」を捨てることになる.今回のCASIO第3世代モデルは,「自然表示」入力と小数の出力が同時に可能となるオプションが追加された.我々ユーザーの声がようやくメーカーを動かした,ということだろう.

設定方法は以下の通り.[SETUP] 1 でMath IOを選ぶ.

すると,旧型とは異なり,出力オプションを選ぶ画面となる.

ここで1: MathO(「数式通り」出力)を選べば動作は旧型と同じ.2: LineOを選ぶと,あらゆる計算の解が小数で返るようになる.

LineOを選んだときの小さな副作用として,[S<->D]が効かなくなるということに気づいた.例えば,√2を計算すると

となるが,[S<->D]を押しても解は√2にならない.しかし,これは小さな代償では無いか.今回のモデルチェンジの最大の目玉,LineO機能に拍手を送りたい.今まで,これが無いがために,プロの技術者に「自然表示」モデルの関数電卓を勧めるのをためらってきた.しかし,これからは自信を持って本機をお勧めしたいと思う.


6. 6÷2(1+2)=?

はじめに,2011年10月のコラムを参照頂きたい.省略した掛け算は省略しない割り算に対して優先準位の高い演算子かどうか,ネットで議論されていたのを小耳に挟み,関数電卓の現状をレポートしたものだ.結果は大変興味深く,日本メーカーはおおむね省略した掛け算記号は優先であるのに対し,アメリカのメーカーは省略しない乗除算と同格とするルールだ.ところが,日本メーカーの数少ない例外が,本機の第1世代,CASIO fx-912ESだった.

それに関したCASIOお客様相談室の回答と,私が邪推した裏の事情をコラムで読んで頂きたい.まさか,CASIOの開発陣が私のコラムに触発されたわけでは無いだろうが,第3世代機は上の計算を入力すると電卓が明示的に括弧を補うようになった.

ルールは「日本流」だ.電卓が補った括弧は,人が入力したものと同じく,一文字ずつ消すことができる.

CASIOが1年前の議論を相当意識していたに違いない,という証拠がある.CASIOのホームページ,第3世代機の新機能紹介のページを見てみよう.例として取り上げられているのが,まさに2011年に議論されていた数式である.ちょっと大人げないなあと思いつつ,CASIO開発陣の当時の狼狽ぶりが想像できてほほえましい.

個人的には,この機能は必ずしも必要では無いと思うし,むしろ無い方が良いくらいだと思う.我々日本人は,省略された乗算記号が優先というルールを小さい頃から叩き込まれてるので,括弧を補うのは蛇足にすぎない.今回のモデルチェンジで唯一の残念な改訂である.

さて,ここで皆さんに問題.この「自動的に補われる括弧」はどういったアルゴリズムで動作しているでしょうか.単純に,「省略された乗算の両側を括弧で囲む」方式で無いことは,以下の例から明らか.6÷2(1+2)を 6 [÷] 2 [ (] 1 [+] [2] [=] と入力してみる.最後の括弧は省略可なので,これでもエラーにはならない.答は以下の通り.

閉じ括弧が補われない点に注目.


7. 新機能(1): 周期表

第3世代の最高峰モデル,fx995ESには周期表機能が搭載された.関数電卓では初めてのことである.私の関数電卓に関するポリシーでは全く不要な機能なのだが,今回は面白そうなのでネタとして購入した.周期表機能とは,端的には「与えられた原子番号の元素の原子量(2009 IUPAC)を返す」機能である.使い方は大きく分けて二つ.どちらの場合も[Alpha] 9 (ATOMIC)で呼び出す.

1を選ぶと周期表が現れる.とはいってもこの表示エリア.なかなか苦しい.スクロールキーで左のテーブル内を移動すると,右に原子番号,元素記号,原子量が現れる.


ここでイコールキーを押すと,以下の表示に.1から118までの整数を引数に取る関数AtWtを呼び出した形となる.

最初のメニューで,2: AtWtを選ぶと直接この画面となり,ここで整数を入力.イコールキーを押すと,

ここで「分数」は無いでしょうよ,CASIOさん.[S<->D]を押して,Zrの原子量91.224を得る.関数AtWtは,もちろん数式の中で使っても構わない.上の,電子のドリフト速度の問題をAtWtを使い計算しよう.ついでに,科学定数機能も使っちゃう.

Step 1 銅の原子数密度を計算
[CONST] 24 ×8.94E3/(AtWt 29×1E-3)=8.472E28

と,こんな具合.

使う人はいるかも知れないが,私には不要.原子量が知りたければ,ちょっと横を向けば良い.どの部屋にも必ず周期表が貼ってあるから.あるいは,PCで作業中なら,ちょこっとブラウザを立ち上げる.fx-995ESの実売価格は約5,000円.エントリーモデル,375ESに比べて約3,000円高い.他にも高度な統計関連の機能があるとはいえ,それらのために+3,000円を支払うのは勿体ないと思う.

現在,「関数電卓パーフェクトガイド」の改訂版を書いている.多くの記述がたった3年で古くさくなっているのに驚いているが,特に,旧版では全く評価していなかった「スマートフォン上の関数電卓アプリ」がこの3年で無視できない存在になっていることを再認識させられた.一方で,ハードウェアとしての関数電卓は,あいかわらずてんこ盛りの新機能で差別化を図っているようである.このままでは,「電脳コイル」の遙か手前で関数電卓が博物館に入ってしまうかもしれない.メーカーも,もっと危機感を持って良いのでは無いだろうか.


8. 新機能(2): 素因数分解

いままで,ありそうで無かったこの機能.fx-915ESと995ESに装備された.私の場合は自分の専門分野で使うわけでは無いが,整数論にはアマチュア的興味がある.何かの本で,数学者が「渋滞で退屈したら前後左右の車のナンバーを因数分解,素数なら今日はラッキーデー」というエピソードを思い出した.整数論を扱う者にとって,素数は原子にも等しい根源的な存在である.今までの関数電卓は有効数字を持った実数の処理に重みが置かれていたので,こういう基本的な機能すら実装されていなかった.良いことだと思う.

最大10桁の整数を因数分解できるそうなので,数学者もタジタジだろう.試しに,適当な10桁の数を素因数分解させてみる.やり方は,数値をいったんイコールキーで確定させ,[FACT] ([゚ ' '']の裏)で因数分解する.

何と,一発で素数が出た.と思ったら,上の結果について,東京医科歯科大のT先生よりご指摘があった.(13/02/02)

前略 当方生命科学系の研究をしており,高校時代購入以来の関数電卓を二十数年使って参りましたが白衣のポケットに入れたままガンガンやっていてとうとう寿命が来たようでした。...

  中略

カシオのサイトを見た上で改めて記事を見直しておやと思いました。

  中略

素因数分解 http://keisan.casio.jp/has10/SpecExec.cgi で6397169873をやらせてみると7333 x 872381らしいのです。あくまで3桁以下の範囲で調べるようなのでこの機種で解が出ないから素数とはできなさそうです。


マニュアルを見直したところ,確かに「3桁以下の範囲の素因数に分解」とあった.これは大失態である.T先生,ありがとうございました.

ちなみに,上の様な括弧つきの表示は「ギブアップ」の意思表示だそうだ.ちょっと,これでは整数論で遊ぶ道具としては力不足.素因数分解に成功した例が以下.


9. まとめ

CASIOの第3世代「自然表示」モデル,fx-5ESシリーズをレビューした.何と言っても最大の特徴は「自然表示」入力と小数による解表示が同時に可能となったことだ.これによって,関数電卓ははじめて「数式通り」から「自然表示」に世代交代したと言って良いだろう.

今回のモデルチェンジで導入されたいくつかの新しい機能

  • PreAns機能
  • 省略された乗算記号を補う機能
  • 周期表機能
  • 素因数分解機能

についても紹介した.