COILのhybridシミュレーション

2007/10/01

研究の背景

一般に物理学の研究は

  1. 現象を分析
  2. 現象を支配する第一原理を抽出
  3. 第一原理からモデルを構築
  4. モデルから未知の現象を予想
  5. 予想が現象と一致

というプロセスで進められる.COILの場合,「現象」とはレーザー発振であり,「第一原理」は流体力学,化学反応,および原子と光子の相互作用である.これらを要素とするモデルを構築し,モデルによって予想されたレーザー出力が実際のレーザー出力と一致したとき,我々はCOILを理解した,と言うことができる.

コンピューターの発達した現代においては,具体的には流体力学も,化学反応も,原子と光子の相互作用も全てコンピューターで再現することが出来る.すなわち,モデル化とはコンピューターシミュレーションの構築と言い換えても良い.

そして,得られたモデルから何がレーザー発振の効率を支配しているのかを推測することができ,そこからより高効率なレーザー発振を得るアイデアが生まれる.

レーザー装置の中で起こっている物理現象は複雑多岐にわたるのでこれを全てモデルに組み込むことはとうてい出来ない.そこで,これらのなかから重要なものとそうでないものを選別し,単純で,本質を突いた,美しいモデルを構築することが研究者の腕前,と言うことになる.もちろん,そのモデルがレーザー発振という「現象」を精度良く予測できなければ何の価値もない.

1980年代まで,COILのモデルにおいて流体力学が占める割合はほとんど無視されていた.ガスレーザーなのに何故,と思うかも知れないが,初期のCOILは流れが比較的単純な亜音速,定常温度,定常流速の流れに近似できるため,数値流体力学(CFD)の力を借りずともかなり良い近似が得られたからだ.一方で,化学反応については30から60の反応が同時に進行するモデルを使うのが通常であった.現在でも広く使われている米空軍の標準パッケージから,東海大COILに必要なレートのみを抜粋したものを表1に示す.

表1: 米空軍標準パッケージをベースにした,東海大標準レート方程式パッケージ

非常に単純な,重要な10程度の反応式からなるパッケージでもおおよそのレーザー出力の予測は出来るのだが,励起酸素と沃素分子が衝突して分子が原子に解離する過程は複雑怪奇なため,モデルを単純可するとあっという間に精度が悪くなる.つまり,COILの場合,単純化された化学反応モデルでは,モデルの最も重要な役割である「現象の予言」には役立たないことを指摘しておこう.

一方,1990年代から本格的に普及しはじめた超音速COILでは,流体力学は非常に大きなウェイトを占める.COILのシミュレーションは,数値流体力学計算(Computational Fluid Dynamics=CFD)を用いてガスの超音速膨張を計算し,同時に励起酸素を含むprimary flowと沃素を含むsecondary flowの混合,化学反応を計算してレーザー出力を予測する.


図1: Boeing社の開発した"Tab array nozzle"のCFD計算

しかし,2007年現在においてもCFD,化学反応,光共振器の全てをモデル化したシミュレーション計算を行っているのは米軍のみである.理由はただ一つ,計算がとっても大変だからだ.話によると,米軍はCOILのシミュレーションを行うために専用の256nodesパラレルプロセッサを導入したとか.日本でも長岡科技大の増田先生がCFDと化学反応からなるパッケージを開発,運用されていたが,計算させる系はノズル近辺のみの極めて狭い領域に限定され,しかも2002年当時,1ケースの計算が終了するまで3ヶ月も掛かったという.

この問題に,我々は異なるアプローチで挑む事にした.すなわち,流体の問題はCFDで計算させ,ここからあるパラメータを抽出して流体力学を含まない疑二次元コードで化学反応,レーザー発振を計算する"Hybrid Simulation"の方法だ.

  

Hybrid Simulationの原理

超音速COILの流れは励起酸素をその数倍のバッファガス(窒素)で薄めたprimary flowと,励起酸素とほぼ同量の窒素に1%程度の沃素を含むsecondary flowよりなる.酸素と窒素の流体力学的物性値はほぼ同じ,かつ化学反応により発生する熱や粒子種の変化(沃素原子の解離)は少ないので流れに大きな影響を与えない.つまり,超音速COILにおいては,化学反応があってもなくても,流れは大きくは変わらない,と言う近似が成り立つ.

そこで,あらかじめ窒素ガスのみを流したときのprimary flowとsecondary flowの流れをCFDで解析して,そこから,流れに沿ってこれらのガスがどのくらい混ざるかという"混合達成度"を抽出する.そして,この混合達成度とガスの流速,圧力,温度を入力条件として疑二次元の化学反応+レーザー発振コードを走らせる.これがHybrid simulationの考え方だ.化学反応を含まない純粋な流れ解析の場合,CFDの計算量は激減する.そうは言っても1ケースの計算に4ノードのパラレルプロセッサで数日かかるわけだが,それでも実用的な時間内だ.

その後,抽出された流れ場の物理量から本研究室で開発した化学反応+レーザー発振コードでレーザー出力を予測するのに数時間.これで,完全な流体力学+化学反応の計算コードに匹敵する精度を得ることが出来る.

流体力学のパートは,このホームページでも紹介している市販CFDソフト,Phoenicsを使う.典型的な計算のメッシュと計算結果を図3に示す.


図3: 東海大学開発のEjector COIL計算のメッシュおよび計算結果

ここから抽出する重要なパラメータに"混合達成度"がある.これは以下の式で定義され,系の流れに垂直な断面内で沃素分子がどの程度均一に分布しているか,という指標を与える.

$\bar{\chi}$ : 断面内沃素分子平均濃度

${\chi}(x,y)$ : 断面内沃素分子濃度

これと,流体力学的パラメータ (流れに沿った温度,圧力,流速など)を化学反応シミュレーションコードに入力として与える.ただし,化学反応コードは1次元(ミキシングを拡散混合で模擬した疑二次元)なので,物理量は流れに沿った位置zの関数に翻訳する必要がある.計算コードの概念を図4に示す.


図4: Hybrid simulationのkinetics part計算の概念図

計算は,流れ方向(z)にそって時間発展的に表1のフルセットのレート方程式を解くものだ.計算式を書き下すと以下の通り.

記号の説明は論文[1]に譲ろう.ここで,先ほど計算したηを,擬似的な拡散混合における拡散係数と解釈,primary flowとsecondary flowの混合を行う.

最終的に,レーザー発振はルーフトップ型光共振器が存在するとして光子レート方程式を解く.ここはちょっと手抜きだが,Fresnel-Kirchhoffの回折積分をやっても精度はそれほど良くならない.この上流のモデルがキモなのだ.


  

結果

さて,このようにして構築したモデルが実際の系をよく表しているか,実験結果との比較によって確認した.用いたのはX-wing型混合ノズルを持つ超音速沃素レーザー.


図5: X-wing型混合ノズルと実験装置全体図

図6のような測定系で,流れに沿った小信号利得を計算し,理論計算と比較した.レーザー出力を用いなかったのは,小信号利得の予測が正しくとも光共振器に不確定なパラメータが多いため予測と実験が一致しがたいこと,そして,流れに沿った小信号利得の方が単純なレーザー出力より情報量が多いためである.


図6: 利得測定系のブロック図

結果は図7のとおり.流れに沿った小信号利得を,バッファガス冷却の場合とバッファガス非冷却の場合で測定し,それぞれ同じ条件の計算と比較した.非常に高い精度で小信号利得の変化が再現されていることが分かる.


図7: 小信号利得の計算結果と実験結果の比較

これにより開発されたHybrid simulationがCOILの中で起こっている現象を比較的単純なモデルで高精度に再現可能なことを示すことが出来た.現在は開発されたモデルを利用して,X-wing型混合ノズルの改良に取り組んでいる.

 

おまけ

ところが,計算をくり返すうちに,奇妙な結果に気がついた.シミュレーションの予測精度が,わざと混合の悪いノズルで行った実験の場合非常に悪いのだ.理由を考えているうちに,化学反応の計算で使っているレート方程式パッケージ(表1)が間違っているのではないかと思い至った.実は,表1のレート方程式パッケージは広く使われているが,沃素の解離機構についてはたびたび疑問を呈する研究結果が報告されている.沃素解離機構の解明は,発明されて30年近くになるCOILにおいて未だに新しい研究テーマなのだ.

我々は,開発したHybrid simulationを使って,こんどは逆にレート方程式パッケージの検定が出来るのではないかと言うことに気がついた.結果をまとめ,応用物理学会で発表したスライドは以下.

  

参考文献

[1] M. Endo, T. Masuda and T. Uchiyama, "Development of Hybrid Simulation for Supersonic Chemical Oxygen-Iodine Laser," AIAA J. 45 (2007), pp. 90-97.